日本の主な河川に関する空欄補充問題

 以下の1〜7の文章は、日本のある川について説明したものです。それぞれの文章中の空欄に適切な語句を記入し、また説明されている川の名前を答えなさい。

1. 駿河湾に注ぐこの川の河口の東側には、( 1 )工業の盛んな富士市があります。この富士市沿岸から沼津市  沿岸にかけて広がる( 2 )の海底には、かつて工場から流れ出した廃液のために( 3 )と呼ばれる汚染された泥が積もっていましたが、現在は取り除かれています。一方西側には、日本国内で唯一アルミニウムの精錬工場のある蒲原地区(現・静岡市)があります。
 河口からさかのぼり、富士山を右手に見ながら北へと進みます。この川は平安時代末期に、源氏と平氏の合戦の舞台にもなりました。後に幕府を開く( 4 )が弟の( 5 )と再会したのがこの地だと言われています。この再会の後、( 5 )は1185年に( 6 )で平氏を滅ぼすことになります。
 
山梨県内に入ってしばらくすると、鎌倉時代に( 7 )が久遠寺を開いた身延山が見えてきます。( 8 )盆地に入るあたりで、この川は北東へ伸びる笛吹川と北西へ伸びる釜無川に分かれます。笛吹川をさかのぼると、( 9 )や( 10 )の果樹園が多く見られます。また磁石を使って走る( 11 )カーの実験線もこの付近に作られています。
 一方、釜無川をさかのぼると、洪水対策のために戦国時代に築かれた信玄堤を目にすることができます。平成の大合併で誕生した南アルプス市も釜無川の近くにあります。この川はさらに
長野県内へと続いていて、水源地は八ヶ岳のふもとになります。

 

 

2. 宮城県南部の太平洋側に注ぐこの川の河口からは、南に向かってさかのぼっていきます。( 1 )山脈と( 2 )高地にはさまれながら進むと、ももの栽培の盛んな( 3 )盆地に到着します。この川と並行して南下する東北新幹線は、この盆地で( 4 )新幹線と合流して東京へ向かいます。さらに南へとさかのぼると( 5 )湖から引かれた安積疏水の広がる( 6 )盆地。そこから源流部へと向かうと白河市周辺にたどり着きます。ここは、江戸時代に寛政の改革を進めた老中( 7 )の出身地です。彼が白河藩を治めていた頃、東北地方を中心に( 8 )の大ききんが発生しましたが、白河藩ではききんに備えてあらかじめ米をたくわえていたために、一人の領民も飢え死にしなかったと伝えられています。寛政の改革で行われた( 9 )の制は、この時の経験をもとにしたものなのです。

 

 

3. この川は( 1 )の養殖が盛んな有明海北部から、( 2 )平野を北へとさかのぼっていきます。古くから洪水の多い川として知られ、利根川や吉野川と同じように( 3 )という別名で呼ばれることもあります。( 2 )平野は福岡・佐賀の2つの県にまたがって広がっており、この川は河口からしばらく両県の県境をさかのぼっていきます。かつて河口付近には( 4 )と呼ばれる農業用水路が網の目のように張り巡らされていましたが、最近では減少し、もっぱら観光用に用いられています。( 2 )平野の北部、佐賀県側には弥生時代の大規模な遺跡である( 5 )もあります。かつてこの平野では米と麦・い草との( 6 )が盛んに行われていましたが、最近、特に福岡県側では稲作のかわりに野菜やイチゴなどを作る農家が増えてきているそうです。
 やがて、この川は福岡・佐賀の県境をはなれ、( 7 )山地を北に見ながら、
福岡県南部を横断するように進みます。川の進路が変わるあたりからは、小さな支流が北に流れ出していて、その源流付近には平安時代に( 8 )が流された( 9 )の跡があります。( 8 )は894年に( 10 )を廃止したことで知られていますね。その後日本国内では純和風の文化が栄えたのでした。
 
福岡県内を過ぎて、大分県の日田盆地を過ぎるとこの川の源流部分が近付いてきます。日田盆地は林業がさかんな地域で( 11 )の材木が有名です。そこから川は東向きと南向きに別れ、東へ進んでいくと、くじゅう連山付近が源流部分となります。くじゅう連山はいくつもの火山からなっており、付近の八丁原には火山のエネルギーを活かした( 12 )発電所も建設されています。一方、日田盆地から南側へ進んでいくと熊本県内にまで達し、世界最大のカルデラ火山、( 13 )山の外側部分が源流部分となります。

 

 

4. 大阪湾に注ぐこの川の河口からは、右手に( 1 )が築いた大阪城を見ることができます。この城は1615年の( 2 )で一度焼け落ちましたが、その後再建され、現在に至っています。大阪は江戸時代に各藩の( 3 )が建てられたところから( 4 )と呼ばれ商業が発達しました。この地で栄えた( 5 )文化は、商人たちの経済力を背景にした華やかな文化です。
 河口からさかのぼり、( 6 )の生産が盛んな門真・守口といった工業都市を通過して
京都府に入る頃、この川は3つに分かれます。分岐点から南へとさかのぼる木津川の流域は、1480年代に( 7 )の国一揆の舞台となった地域です。すぐ南側には、鎌倉時代末期に後醍醐天皇が立てこもった笠置山地が広がります。
 一方、分岐点から東へと進んでいく宇治川は、やがて瀬田川と名前を変えて、日本最大の( 8 )湖へと至ります。また分岐点から京都盆地の西側を北へとさかのぼっていく桂川の流域には、平安京へ都を移した( 9 )天皇が、当初都を移す予定だった( 10 )京の跡地や、幕末の( 11 )戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いの古戦場跡などがあります。桂川の水源地は京都盆地の北側に広がる( 12 )高地になります。

 

 

5. ( 1 )湾に注ぐこの川は、本流に本格的なダムが建設されていないことから「最後の清流」と呼ばれ、四国でもっとも長い河川です。河口から南方20kmのところには( 2 )岬があり、付近にある土佐清水港は( 3 )の一本釣り漁で知られています。この川の水源地は( 4 )山地で、徳島平野を流れる( 5 )川や高知平野を流れる( 6 )川など、四国地方の主な河川のほとんどがこの山地に水源を持っています。山間部では( 7 )の原料となるこうぞやみつまたが栽培されており、この地域の伝統工業を支えています。

 

 

6. ( 1 )の養殖が盛んな広島湾に注ぐこの川の河口付近には、いくつもの( 2 )が広がっています。広島市はこの( 2 )上に中心市街を持っていて、世界遺産に指定されている( 3 )も、この( 2 )の1つの上に建っています。広島市内には( 4 )の工場が多くみられます。広島平野を北上して、水源地は( 5 )山地になります。この山地は、中国地方最長の河川、( 6 )川や、岡山平野の西部を流れる( 7 )川などの水源地でもあります。( 7 )川の河口付近には、石油化学コンビナートで有名な( 8 )地区があります。

 

 

7. ( 1 )半島のつけ根、富山湾に河口を持つこの川は、かつて四大公害病の一つに苦しめられた歴史を持ちます。富山平野を南下し、二手に分かれた川筋のうち、東側の支流をさかのぼると、旧神岡鉱山が見えてきます。ここから出された廃液に含まれる( 2 )が原因となって、全身の骨がもろくなる( 3 )病が、この川の流域で発生しました。現在では鉱山は操業を停止し、宇宙から飛来する( 4 )を観測するための世界屈指の実験施設が建てられています。さらに支流をさかのぼり、( 5 )山脈にあり日本で3番目に高い( 6 )岳のふもとに水源地付近に到着すると、この川の水源地です。
 一方、西側の支流をさかのぼり、
岐阜県内に入ると高山盆地です。この盆地の中心地、( 7 )市は全国でもっとも面積の大きな市として知られています。こちらの川も水源は( 5 )山脈や飛騨高地になります。飛騨高地をはさんでさらに西側の岐阜・富山県境には、世界遺産に指定されている五箇山・白川郷の( 8 )造り集落があります。


 

 

 

 

 

 

 

 

(解答欄)

1.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          (8)

 

(9)          (10)          河川名:   

 

2.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          (8)

 

(9)           河川名:   

 

3.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          (8)

 

(9)          (10)         (11)         (12)

 

 (13)          河川名:   

 

4.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          (8)

 

(9)          (10)         (11)         (12)

 

河川名:   

 

5.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          

 

河川名:   

 

6.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          (8)

 

河川名:   

 

7.(1)          (2)          (3)          (4)

 

(5)          (6)          (7)          (8)

 

河川名:   

 

 

 

 

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解答

 

1.<空欄解答>
(1)製紙・パルプ(2)田子ノ浦(3)ヘドロ(4)源頼朝(5)源義経(6)壇ノ浦(7)日蓮(8)甲府(9)ぶどう(10)もも(11)リニアモーター   ※9、10は順不同
<河川名> 富士川

2.<空欄解答>
(1)奥羽(2)阿武隈(3)福島(4)山形(5)猪苗代(6)郡山(7)松平定信(8)天明(9)囲い米   
<河川名> 阿武隈川

3.

<空欄解答>
(1)のり(2)筑紫(3)筑紫次郎(4)クリーク(5)吉野ヶ里遺跡(6)二毛作(7)筑紫(8)菅原道真(9)大宰府(10)遣唐使(11)すぎ(12)地熱(13)阿蘇
<河川名> 筑後川

4.

<空欄解答>
(1)豊臣秀吉(2)大阪夏の陣(3)蔵屋敷(4)天下の台所(5)元禄(6)電気機械(7)山城(8)琵琶(9)桓武(10)長岡(11)戊辰(12)丹波
<河川名> 淀川

5.

<空欄解答>
(1)土佐(2)足摺(3)かつお(4)四国(5)吉野(6)仁淀(7)和紙
<河川名> 四万十川

6.

<空欄解答>
(1)かき(2)三角州(3)原爆ドーム(4)自動車(5)中国(6)江の(7)高梁
(8)水島
<河川名> 太田川

7.

<空欄解答>
(1)能登(2)カドミウム(3)イタイイタイ(4)ニュートリノ(5)飛騨(6)(奥)穂高(7)高山(8)合掌

<河川名> 神通川

 

 

 

 

 

 

 

 

<問題文全文>

 

1.富士

 

 駿河湾に注ぐこの川の河口の東側には、製紙・パルプ工業の盛んな富士市があります。この富士市沿岸から沼津市沿岸にかけて広がる田子ノ浦の海底には、かつて工場から流れ出した廃液のためにヘドロと呼ばれる汚染された泥が積もっていましたが、現在は取り除かれています。一方西側には、日本国内で唯一アルミニウムの精錬工場のある蒲原地区(現・静岡市)があります。
 河口からさかのぼり、富士山を右手に見ながら北へと進みます。この川は平安時代末期に、源氏と平氏の合戦の舞台にもなりました。後に幕府を開く源頼朝が弟の源義経と再会したのがこの地だと言われています。この再会の後、源義経は1185年に壇ノ浦で平氏を滅ぼすことになります。
 
山梨県内に入ってしばらくすると、鎌倉時代に日蓮が久遠寺を開いた身延山が見えてきます。甲府盆地に入るあたりで、この川は北東へ伸びる笛吹川と北西へ伸びる釜無川に分かれます。笛吹川をさかのぼると、ぶどうももの果樹園が多く見られます。また磁石を使って走るリニアモーターカーの実験線もこの付近に作られています。
 一方、釜無川をさかのぼると、洪水対策のために戦国時代に築かれた信玄堤を目にすることができます。平成の大合併で誕生した南アルプス市も釜無川の近くにあります。この川はさらに
長野県内へと続いていて、水源地は八ヶ岳のふもとになります。

 

2.阿武隈川 

 

宮城県南部の太平洋側に注ぐこの川の河口からは、南に向かってさかのぼっていきます。奥羽山脈と阿武隈高地にはさまれながら進むと、ももの栽培の盛んな福島盆地に到着します。この川と並行して南下する東北新幹線は、この盆地で山形新幹線と合流して東京へ向かいます。さらに南へとさかのぼると猪苗代湖から引かれた安積疏水の広がる郡山盆地。そこから源流部へと向かうと白河市周辺にたどり着きます。ここは、江戸時代に寛政の改革を進めた老中松平定信の出身地です。彼が白河藩を治めていた頃、東北地方を中心に天明の大ききんが発生しましたが、白河藩ではききんに備えてあらかじめ米をたくわえていたために、一人の領民も飢え死にしなかったと伝えられています。寛政の改革で行われた囲い米の制は、この時の経験をもとにしたものなのです。

 

3.筑後川 

 

この川はのりの養殖が盛んな有明海北部から、筑紫平野を北へとさかのぼっていきます。古くから洪水の多い川 

として知られ、利根川や吉野川と同じように筑紫次郎という別名で呼ばれることもあります。筑紫平野は福岡・佐賀の2つの県にまたがって広がっており、この川は河口からしばらく両県の県境をさかのぼっていきます。かつて河口付近にはクリークと呼ばれる農業用水路が網の目のように張り巡らされていましたが、最近では減少し、もっぱら観光用に用いられています。筑紫平野の北部、佐賀県側には弥生時代の大規模な遺跡である吉野ヶ里遺跡もあります。かつてこの平野では米と麦・い草との二毛作が盛んに行われていましたが、最近、特に福岡県側では稲作のかわりに野菜やイチゴなどを作る農家が増えてきているそうです。
 やがて、この川は福岡・佐賀の県境をはなれ、筑紫山地を北に見ながら、
福岡県南部を横断するように進みます。川の進路が変わるあたりからは、小さな支流が北に流れ出していて、その源流付近には平安時代に菅原道真が流された大宰府の跡があります。菅原道真は894年に遣唐使を廃止したことで知られていますね。その後日本国内では純和風の文化が栄えたのでした。
 
福岡県内を過ぎて、大分県の日田盆地を過ぎるとこの川の源流部分が近付いてきます。日田盆地は林業がさかんな地域ですぎの材木が有名です。そこから川は東向きと南向きに別れ、東へ進んでいくと、くじゅう連山付近が源流部分となります。くじゅう連山はいくつもの火山からなっており、付近の八丁原には火山のエネルギーを活かした地熱発電所も建設されています。一方、日田盆地から南側へ進んでいくと熊本県内にまで達し、世界最大のカルデラ火山、阿蘇山の外側部分が源流部分となります。

 

4.川 

 

大阪湾に注ぐこの川の河口からは、右手に豊臣秀吉が築いた大阪城を見ることができます。この城は1615年の大阪夏の陣で一度焼け落ちましたが、その後再建され、現在に至っています。大阪は江戸時代に各藩の蔵屋敷が建てられたところから天下の台所と呼ばれ商業が発達しました。この地で栄えた元禄文化は、商人たちの経済力を背景にした華やかな文化です。
 河口からさかのぼり、電気機械の生産が盛んな門真・守口といった工業都市を通過して
京都府に入る頃、この川は3つに分かれます。分岐点から南へとさかのぼる木津川の流域は、1480年代に山城の国一揆の舞台となった地域です。すぐ南側には、鎌倉時代末期に後醍醐天皇が立てこもった笠置山地が広がります。
 一方、分岐点から東へと進んでいく宇治川は、やがて瀬田川と名前を変えて、日本最大の琵琶湖へと至ります。また分岐点から京都盆地の西側を北へとさかのぼっていく桂川の流域には、平安京へ都を移した桓武天皇が、当初都を移す予定だった長岡京の跡地や、幕末の戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いの古戦場跡などがあります。桂川の水源地は京都盆地の北側に広がる丹波高地になります。

 

 

5.四万十

 

土佐湾に注ぐこの川は、本流に本格的なダムが建設されていないことから「最後の清流」と呼ばれ、四国でもっとも長い河川です。河口から南方20kmのところには足摺岬があり、付近にある土佐清水港はかつおの一本釣り漁で知られています。この川の水源地は四国山地で、徳島平野を流れる吉野川や高知平野を流れる仁淀川など、四国地方の主な河川のほとんどがこの山地に水源を持っています。山間部では和紙の原料となるこうぞやみつまたが栽培されており、この地域の伝統工業を支えています。

 

 

6.太田

 

かきの養殖が盛んな広島湾に注ぐこの川の河口付近には、いくつもの三角州が広がっています。広島市はこの三角州上に中心市街を持っていて、世界遺産に指定されている原爆ドームも、この三角州の1つの上に建っています。広島市内には自動車の工場が多くみられます。広島平野を北上して、水源地は中国山地になります。この山地は、中国地方最長の河川、江の川や、岡山平野の西部を流れる高梁川などの水源地でもあります。高梁川の河口付近には、石油化学コンビナートで有名な水島地区があります。

 

 

7.神通

 

能登半島のつけ根、富山湾に河口を持つこの川は、かつて四大公害病の一つに苦しめられた歴史を持ちます。富山平野を南下し、二手に分かれた川筋のうち、東側の支流をさかのぼると、旧神岡鉱山が見えてきます。ここから出された廃液に含まれるカドミウムが原因となって、全身の骨がもろくなるイタイイタイ病が、この川の流域で発生しました。現在では鉱山は操業を停止し、宇宙から飛来するニュートリノを観測するための世界屈指の実験施設が建てられています。さらに支流をさかのぼり、飛騨山脈にあり日本で3番目に高い穂高岳のふもとに水源地付近に到着すると、この川の水源地です。
 一方、西側の支流をさかのぼり、
岐阜県内に入ると高山盆地です。この盆地の中心地、高山市は全国でもっとも面積の大きな市として知られています。こちらの川も水源は飛騨山脈や飛騨高地になります。飛騨高地をはさんでさらに西側の岐阜・富山県境には、世界遺産に指定されている五箇山・白川郷の合掌造り集落があります。